天華の救済 Q&Aを斬る!

天華の救済についてのデタラメな回答をメッタ斬りにします。

インターネット上でも天華の救済の信者同士、仲が悪いようですが、この団体に関わ...

久々にYahoo! 知恵袋のQ&Aから取り上げることにします。質問というよりは主張に近いですが...。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13105994478

この方の質問は以前にも取り上げたことがあります。今回も相変わらず捨て台詞を吐いて去っていっています。前回も書きましたが、子供の可能性もあるので、メッタ斬りではなく、なるべく穏やかにコメントするように心がけたいと思います。

人間がある程度集まれば、仲のいい人もいればそうでない人もいるのはある程度仕方がないことです。仲がいい悪いにかかわらず、意見が合わない人というのはもっとたくさんいます。

人によっては、この「意見が合わない」ということを「仲が悪い」と錯覚してしまうようです。自分に賛同してくれる人は仲間、反対する人は敵だと安易に考えてしまうのかもしれません。

けれども、意見というのはいろいろあるからよいのであって、みんなが判で押したように同じことをいうようでは気持ち悪くてしかたがありません。第一、そのような集団は簡単に間違いを犯しますし、間違ってもそれに気づくことも難しければ、軌道修正することも難しいでしょう。

さて、元のQ&Aに話を戻します。回答者は補足を要求していますが、質問者はそれに応じることなく、捨て台詞を残して去っています。やはり質問というよりは主張に近かったのではないかと思います。

回答者の捨て台詞に「情弱」という言葉が含まれているので、これについて少し触れることにしましょう。

「情弱」というのは、もとは「情報弱者」の省略です。天華の救済の行者には、ご高齢の方やお身体が不自由な方も少なからず含まれています。そうした方々は、インターネットを普通に利用している人たちに比べて、日々得られる情報量が少ないこともあるでしょう。

そうした情報格差は確かに存在しますし、これは行者に限らず世間一般にも同様に存在することです。そして、情報格差の結果、得られる情報量が少ない「情報弱者」も当然いるわけです。

一方で「情弱」というのは、単に「情報弱者」の省略ではなく、情報に疎い人たちを揶揄するためのいわゆる差別語です。このような言葉を公の場で使うべきではありませんし、こうした言葉を用いた発言の多くは、真っ当な意見ではなく罵詈雑言の類であることが多いのです。

また、他人を「情弱」と呼ぶとき、(情報に疎いために)自分と同じ意見に至らなかったことを非難している可能性もあります。自分と同じ意見を持たないのは、必要な情報を集めたり、正しく分析できなかったからだというのでしょう。

前述したように、意見はいろいろあってよいのです。同じ情報をもとに別の意見に至ったとしても、それはそれでかまわないのです。

天華の救済を実現する観いは同じであっても、そのための方法論にはさまざまな意見があります。共存可能な意見もあれば、対立するものもあるでしょう。そこはお互いに相談しながら、必要なら天意確認を行いながら進めていけばよいだけのことです。

最後に、質問の中に「天華の救済の信者同士」とありますが、天華の救済に信者はいません。いるのは行者です。天華の救済は信仰するところではなく、行を実践するところだからです。

これは単にいいかただけの問題ではありません。

たとえていえば、中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国には「人民」はいますが「国民」はいません。対して、わが国には「国民」はいますが「人民」はいません。その国に住む人々という意味では同じですが両者は置き換え不可能な言葉です。

同様に、天華の救済には「行者」はいますが「信者」はいません。この二つの言葉の置き換え不可能なのです。