天華の救済 Q&Aを斬る!

天華の救済についてのデタラメな回答をメッタ斬りにします。

天華天行力三法行に必要な行材 | 天華の救済(法の華三法行) 福永法源は今

久々に「天華の救済法の華三法行福永法源は今」の記事について取り上げることにします。今回の記事は「天華天行力三法行に必要な行材」です。

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まず、この記事を書いた人物は、天華三法行のことについてまったく理解していないことがうかがえます。本質的なことはもちろん、表面的なことでさえ理解できていません。おそらく、直接天華の救済や現役の行者に取材したこともなく、想像だけで書いているからでしょう。

天華の救済の行にはもうひとつ「天行力手帳」が必要

この部分を最初に読んだとき、「もうひとつ」というのが、何に対してもうひとつなのかがすぐには理解できませんでした。しかし、よく読んでみるとこのブログでは、天華の救済の行は、「法唱」「法筆」「法座」と、天行力手帳の二つから構成されているといっているようです。

天華天行力三法行を理解している方からすれば、無茶苦茶な話であることがすぐにわかります。天華天行力三法行は、「法唱」「法筆」「法座」の三つから構成されますが、それぞれを正しく実践する上で必要な行材があります。それが天行力手帳であり、天華三法行帳なのです。

「般若天行」は「般若心経」を改ざんしたものです。 これは仏教に対する冒涜にすきません。

「般若天行」をもって、これが「般若心経」だと主張するのなら改ざんといわれても仕方ないでしょう。 しかし、「般若天行」は「般若心経」とは別のものです。二次創作だといわれるのであれば、ある意味そうですが、改ざんというのは明らかに間違いです。

また、「般若心経」はお釈迦さまが直接解いたものではなく後世の創作です。何をもって仏教とするのかは解釈が分かれるでしょうが、一つの考え方としては、「般若心経」自体がお釈迦さまの教えを改ざんしているともいえます。

仏教は次元が低く、それを自分たちが次元の高いものに訂正してやったのだと意識に基づいています。

誰もいっていないことを、あたかもいったかのように考えるのは妄想によるものとしか思えません。この文章を書いた人物は、もしかすると、このようなシグナルを発信することで助けを求めているのかもしれませんね。

教団の名称を「天華の救済」と変更する前の「法の華三法行

このような主張をする人は多いですが、天華の救済法の華三法行が名称変更したものではありません。天華の救済自体は、法の華三法行のもとで開始しました。改称したのであれば、両者が同時に存在することはあり得ません。このような主張をしている人物の話は、すべて眉につばを付けて聞く必要があります。

福永法源氏が、天と交流してその手帳にエネルギーを込めたものとして頒布されていました。

これも実態をまったく理解されていないことによる誤解でしょう。 天行力そのものに対する誤解があるのかもしれません。

これらをまとめて判りやすく言うと、自分が持っている財産を放棄することによって、自分が天に帰依する肚くくりを行い、もって他人をこの教団の行へ導くことによって徳を重ねていくことを意味しています。

表現の良し悪しはともかく、この部分に関してはその通りです。ただし、財産を放棄するというと、全財産を放棄すると誤解する人がいるのも事実で、意図的にそのようにミスリードしている可能性もあります。

子供に小遣いをあげる場合でも、友人や同僚が結婚する際にお祝いを出す場合も、それらはすべて財産を放棄する行為です。ですので、財産を放棄すること自体は、何も特別なことではなく、普通の人なら日常的に行っていることなのです。

当時は数百万円~一千万円という法外な金銭を喜捨させて、そのことが社会問題となり、福永法源氏が逮捕される原因になりました。

これまたミスリードを狙った悪質な表現です。あたかも天行力手帳や天華三法行帳がそのような法外な喜捨を必要とするかのように錯覚させる意図があるように思います。また、逮捕の原因のひとつにはなったかもしれませんが、結局その自体が罪に問われたわけではありません。

ざっと全体を見てきましたが、確実にいえるのは、根本的な部分の理解が明らかに不足しているということです。行者ではないので、天・天声・天行力の本質を見抜くことなどは不可能ですが、表面的な事実の積み重ねさえできていないというのが率直な感想です。

何度も繰り返し書いていますが、このブログ自体、アダルト関連のアフィリエイトサイトへのバックリンクを目的としたもののようですので、記事の正確性などはどうでもよいのかもしれませんね。