天華の救済 Q&Aを斬る!

天華の救済についてのデタラメな回答をメッタ斬りにします。

全宇宙、全生命を生かしている人智を超えた永遠の存在である天と人間が頭で作り出した近年の法律(例えば刑法、著作権法、迷惑防止条例など)、それによる処罰の関係性について。誰が誰を、誰が何を裁くのか、「天は何も裁かないが人は裁く」といった観点から。

新しい質問がどんどんよせられています。おかげでブログのネタに困りません。今回は長文の質問が多いため、あまり慌てずにマイペースで回答していくことにします。

全宇宙、全生命を生かしている人智を超えた永遠の存在である天と人間が頭で作り出した近年の法律(例えば刑法、著作権法迷惑防止条例など)、それによる処罰の関係性について。誰が誰を、誰が何を裁くのか、「天は何も裁かないが人は裁く」といった観点から。 

 なかなか変わったことを考える人もいるものだと正直感心しています。今回も小生の私見についてしか述べることができませんが、可能な限り回答してみることにしましょう。

まず、人間が作り出した法律というのは社会のルールであり、それに基づく処罰というのは法治国家の社会を守るために行われます。決して報復や気晴らしのために処罰が行われるわけではありません。また、人為によって行われる法律上の裁きは、ときには判断を誤ることもあります。

しかし、社会の一員として活動する以上は、そのルールに従わなければならないのは当然のことです。もしルールに問題があるなら、それを改善するための働きかけをすることも可能なのですから。

「天は何も裁かないが...」と書かれていますが、そんなことはありません。人為による法律に対して天がどうこうすることはありませんが、人間生命体の進化に関しては天が厳しく裁きます。

典型的には、ある人間が死を迎えるとき、その人の観いと徳の配分によって、すなわちどれだけよろこべたか、そしてどれだけ人を喜ばせたかによって、人生の仕上がり具合が決まります。

もし存命中にあまりにも観いが低く、業が深い状況に陥れば、天はそれ以上苦を刻ませないためにその人の心臓を止めることさえあります。それ以上進化が望めなければ、そこで人生を終わりにすることで、より悪い状況になることを予防しているのかもしれません。

このように、人為による法律と天意による法則では裁く内容がまったく異なります。ちょうど、法律でサッカーの反則を裁けないように、逆にサッカーの審判が犯罪を裁けないように、守備範囲が異なるのです。