天華の救済 Q&Aを斬る!

天華の救済についてのデタラメな回答をメッタ斬りにします。

天にしても天行力にしてもこんなに素晴らしいのに、なぜ、天は福永法源氏を刑務所へ行かせたのか

昨日質問をいただいた方から新たにいくつかの質問が寄せられました。ちょっと長くなりそうなので、回を分けて回答していくことにします。

天にしても天行力にしてもこんなに素晴らしいのに、なぜ、天は福永法源氏を刑務所へ行かせたのか、天がバックについていながら不思議ですがその辺りの見解

以下、小生なりに回答いたしますが、あくまでも一行者としての私見であることをあらかじめお断りしておきます。

世の中に流され続け、長いものに巻かれ続けるのであれば、誰とも大きな衝突をせずにすむかもしれません。ところが、信念を貫き、それに基づいて目立った行動を起こせば、遅かれ早かれ公権力と衝突することは避けられません。

歴史を振り返っても、ナザレのイエスガリレオ・ガリレイ、日本においては鎌倉仏教の創始者や吉田松陰なども、やはりその時代その時代の権力と衝突していいます。程度の差はあるにせよ、みんなそれなりに経験しているのです。

そして、もうひとつ。法の華三法行は、2001年1月6日午前2時までに人類救済を果たすことを目的としていました。ところが、結果は惨敗ともいえる状況でした。これは2001年元旦に示された天声からも読み取れます。

地上人間生命体が地獄界33億人を超えた。

人類の過半数に人間本来の姿(=喜びの表現体)を取り戻していただくことを目指していたにもかかわらず、逆に人類の過半数が人生途上で地獄界におさまってしまったのです。

集団のトップは結果責任が問われます。会社であれ、国家であれ、教団であれ、トップは敗北の責任を負わなければならないのです。その意味で、福永法源師は現在刑に服しておられます。

もちろん、惨敗の原因を作ったのは福永法源師おひとりではありません。本部から末端の行者にいたるまで、徳積みが足りなかったこと、あるいは実際に問題のある行動を起こしたことなども大きな原因です。

ここからは完全に小生の推測になりますが...

福永法源師がおられたころは、行者は師に強く依存していました。本来であれば、行というのものは自ら立ち上がる自主行でなければならないにもかかわらず、いわれたからやる傾向も強かったのです。いわれてから動く結果、気ばかり焦って、挙げ句の果てに問題行動を起こす人も少なくなかったのだと思います。

そういう状況を打開するには(荒療治ですが)現在の状況が必要でした。これは過去の天声・天意メッセージでも示唆されています。

天はどこまでも行を示してきます。天がバックについているからといって、無条件に物事が成就するとか、無敵の状態になれるわけではありません。我々行者は、ときには傷つき、挫折を味わいながら、それでも行を繰り返すだけなのです。