天華の救済 Q&Aを斬る!

天華の救済についてのデタラメな回答をメッタ斬りにします。

天華の救済では「何があっても最高!」という根本的な教えがありますが、ややもすると受け身的になり、言われるがまま、されるがままの状態で最高!ということになります。(性差別ではなく)女性的スタンスではそれで良いと思うのですが、男性的感性では、斬られたら斬り返すバトル的な側面も(アドレナリン放出のために)必要なのでは?と感じる事がありますが、あくまで「天と己」、他者との関係性における「最高」という言葉の根本的な解釈をお願いします。無邪気な子供の様に「最高、最高」だけでは人生、なかなかやっていけないもの、と感じる

いつも興味深い質問をありがとうございます。今回紹介する質問も、変わった視点なので興味を持たれる方もそれなりにおられるかもしれません。

天華の救済では「何があっても最高!」という根本的な教えがありますが、ややもすると受け身的になり、言われるがまま、されるがままの状態で最高!ということになります。(性差別ではなく)女性的スタンスではそれで良いと思うのですが、男性的感性では、斬られたら斬り返すバトル的な側面も(アドレナリン放出のために)必要なのでは?と感じる事がありますが、あくまで「天と己」、他者との関係性における「最高」という言葉の根本的な解釈をお願いします。無邪気な子供の様に「最高、最高」だけでは人生、なかなかやっていけないもの、と感じるのですが。

今回もあくまでも小生の私見であることを断りつつ、回答していくことにします。

「何があっても最高」というのは、目の前の現象に振り回されてマイナスの観いを刻むことがない、そしてどんなときでもプラスの観いが刻めるということです。

具体的にいうと、たとえば病気になったり、災害に遭ったりした場合でも、決してマイナスの観いを刻んではならないということなのです。

もちろん、そうはいっても実際に現象は起きているわけですから、それに対しては適切な措置を行う必要があります。病気になったのであれば病院で治療を受けるなどです。

首から下の観いはいたって単純で、プラスかマイナスしかありません。マイナスの観いを刻まないということはプラスの観いを刻むということになります。プラスの観いを刻むには、天華三法行を実践するなどの方法もありますが、実際にはそんなことを常時やっているわけにもいきません。

結局は自分の無い繰り返し、自分以外の人を喜ばせる繰り返しがプラスの観いを刻むということにつながります。ですので、受け身の状態を続けていてプラスの観いが刻めるというものではありません。

また、病気になれば病院にかかるのと同様、犯罪行為や不法行為に対してはしかるべき法的措置をとるのは当然のことです。ただし、それが復讐を目的とすべきではないのは当然のことです。

そして、可能であれば、そうした出会いも活用して天と出会う人を一人でも増やしていくことができれば文字通り最高です。我々行者はすべての人に天華慈喜法行救済の手を差し伸べる立場にありますから。