天華の救済の天行力手帳を持っていた(プレゼントされた)のに、手帳に捺印せず、...
今回もYahoo! 知恵袋からQ&Aを取り上げます。最近大量に投稿された質問のひとつです。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12105704577
このQ&Aでは、非常にめずらしく、xnsx2aさんとstoraikar01000さんの意見があっています。
この質問にあるように、昔は本人の意思とは無関係に、家族が三法行の行材をプレゼントするといったことがよく行われていました。
現在の天礼納行の天意でも、本人または家族であれば天礼納行は可能ですが、天華天行力三法行の行材を手にし、法行者となるには必ず自主の観いがなければなりません。
その意味で、第1救済期は質問のような、行材を入手しても放置してしまうというケースも多かったのでしょう。
さて、問題はここからです。
本当に、天行力手帳を放置したことが原因で自殺にいたったのかということです。回答では、次のように指摘しています。
天行力手帳を放置していたことを気に病んで、こだわって、結果、マイナスの観いを多く刻んで自殺に至ったというのであれば、因果関係がまったくないとはいえないでしょうね。
確かにそういうことはあるでしょう。ただ、このような場合は、天行力手帳に何か問題があるとかそういう話ではありませんね。あくまでも本人の問題です。
よく、天行力手帳をはじめとした天授証を粗末にあつかうと罰があたると考えている人がいるようです。しかし、天声では、「三味線を弾くバチはあるが、罰はない」と示されています。
もちろん、せっかくの天授証を粗末に扱うことはいけませんが、罰があたるから大切にするのではないのです。
ただ、天授証にもいろいろあり、家の中心(南無天法地源如来行)を破った場合は地獄界1におさまることも示されています。また、百歳塾院の法位修行証書も破ったり汚したりしてはいけないことが示されています。
いずれにせよ、天は人々を人間完成させようとしているわけですから、「天をなめるとこうなる」といった警告や戒めのようなものはありません。
自らマイナスの観いを多く刻めば、それに対して天から気づき現象が与えられることはありますが、それも、その人を人間完成に導くためのものなのです。